ところで、いつ「死」が訪れるかもしれないのは、私一人ではないということも、また この世の真理です。 「お父さんお小遣い」といって、子供たちは時々手を出します。とくに旅行に出かける前 が多いようです。毎回は対応できないので五回に一ぺんくらいはお小遣いを出すことにし ていますが、本当は毎回「出してやりたい、出してやるべきではないか」と思っています (ここのところは子供たちに読まれては困るところですが)。 と申しますのは「小遣いを出す」というのは、子供たちのためではなく、親としての私 のためであると思っているからです。「お父さん、お小遣い!」といって手を出してくる子 供たちに、「ダメ」と言って拒否したとします。子供たちは不服そうな顔をして「お父さん しかし現実にはとてもそんなことはできませんし、しないほうが子供のためであること はもちろんです。「まあ大丈夫だろう」という気持ちで子供の出かけるのを見送っています が、本当は「これが今生の最後」ということにならないという保証はまったくありません。 「私どもの生命はいつ終わりになるかわからない」 というのが、この世の真実なのです。それは誰にも言えることなのです。この真理を理 解しようとする意志がなく、この真理に気づこうとする智慧がまったく働かないことを、 仏教では「無明」という言葉で言い表します。

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